整体というと、一般に骨格を矯正すると思っている人が多い。
しかし私は、整体が骨格の調整を重要と考えたのは、「歪」の修正を念頭にしたからではないと思う。
体を動作させるときに、感覚の主を何において動作をするべきか。
筋肉を主とした「肉感」を極力消して、あたかも骨格が動作ているような感覚になりえた時に、いわば達人的動作が生まれる。
日本の文化における動作の規範が、骨の操作を重視した感覚に由来したためだと考えている。
動作の準備として、ある姿勢(フォーム)をとる。
このときに、肩に力が入っているからその力を抜くというようなイメージではなく、ただただ骨格状態をとらえ、各骨や関節を微調整することに集中すると、余分な筋肉緊張が消えて、独特の意識状態(境地)を感じる。
このときの身体の実感は、充実して爽快。心的には静かで心地よい。
このような状態を作り出すことが、本来の整体の目的であり、骨格に着目した目的は矯正にあるのではなく、骨格を意識化させ、動作感覚を修正することに必要な観点であったためだと考える。
感覚というと、五感を思い浮かべるが、外界とのつながりは、五感によるものばかりではないと思う。
例えば、雰囲気を感じるという場合の感覚とは、五感の何をもって感じているだろうか。
目を閉じ、耳を塞いでも、人の近づく気配を感じることはできる。
天気の変化を、体の変調として感じる人も多くいる。
そのような、意識の深いところとつながっている感覚を考えると、単に、五感的に体を観察するだけとは違う価値観がでてくると思う。
あるワークショップの講座で、講師がこのようなことを言っていた。
あなたが画家であるならば、目が見えない人が感動するような絵を。
あなたが、音楽家であるならば、耳が聞こえない人が感動するような音楽を。
この言葉の意味に、おぼろげに共感できるこのごろである。
私のクライアントに、毎日、深呼吸の練習をしている人が数人いる。
深呼吸ができるようになれば、自身の精神状態にとって望ましい影響を持ちえると考えている。
どのようにしたら深呼吸を会得することができるか、呼吸法の技法論に重点をおいているようだが、それはやや観点が違うと思う。
技法としての深呼吸法を練習する際には、どのような意識状態なら深呼吸になるかにも、あわせて強い関心を抱かなければうまくゆかない。
深呼吸とは息の仕方(方法)ではない。
ある意識状態で再現される呼吸パターンである。
つまり、自然と深呼吸になるような意識状態、内的身体設定を模索することが、深呼吸の練習ということだと考える。