健康とは「常に全力を発揮できる状態である」ということを書いたことがありますが、先日、患者さんからこのようなメールをいただきました。
一部引用させていただきます。
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健康とは、健康「感」のことなんじゃないかな?
いずれは自分は一病も二病に持つようになると思うけれど、それでも爽やかに笑って時間を生きていけるような人になりたい(理想ですが..)。
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私もその方の言わんとしているところに共感します。
健康とは「生き方」であり、究極的には病気であるとか病気でないということとは無関係だと考えます。
「健康でも病気をすることはある。」
例えば、子供などがそうです。
子供はよく感染症に罹ります。
それを「病気をした」とネガティブに捉えるのはあまりにも一面からの見方で、別の見方をすれば、「必要な免疫を獲得する経験」ということが言えると思います。
なぜなら、この世の中で今後も生きてゆくためには、どこかでそれを経験する必要が絶対にあるからです。
私たちは、多くの病気を経験して、生きるのに必要な免疫を獲得する仕組みになっています。
ありふれた感染症を経験することは、むしろ必然であり、それは免疫にとっての「成長の一こま」といえるでしょう。
であるなら、そういう必然の出来事は、むしろ「健康」だから経験できることなのだと考えるべきではないでしょうか。
それをいちいち健康を損ねたというように見るのであれば、みんな不健康で身体が弱いというようになってしまうでしょう。
そのように考えてゆくと、健康とはまさに「感」であり、身体をどのような考えをもって見ているかが「鍵」になります。
戦争中に爆撃があったら、寝たきりの筈だったおばあさんがが走って逃げた逸話があります。
人は思い込みで不健康に陥っている場合が多く、そのような思い込みが通用しない出来事に遭遇したとたんに、力が発揮できる。
好き好んで、「病気だ=健康を損ねた」と考える「思考パターン」に執着するメリットなど、どこにもないと思うのです。
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