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鍼灸師ハリポのコラムです。開業鍼灸師としての日常や、週1勤務の産婦人科での経験を。
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    開業鍼灸師として20年。治療の枠をこえ、よりよく生きるために心身のあり方について日々模索中
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    健康とは「常に全力を発揮できる状態である」ということを書いたことがありますが、先日、患者さんからこのようなメールをいただきました。

    一部引用させていただきます。

    ----
    健康とは、健康「感」のことなんじゃないかな?
    いずれは自分は一病も二病に持つようになると思うけれど、それでも爽やかに笑って時間を生きていけるような人になりたい(理想ですが..)。
    ----

    私もその方の言わんとしているところに共感します。

    健康とは「生き方」であり、究極的には病気であるとか病気でないということとは無関係だと考えます。

    「健康でも病気をすることはある。」

    例えば、子供などがそうです。

    子供はよく感染症に罹ります。
    それを「病気をした」とネガティブに捉えるのはあまりにも一面からの見方で、別の見方をすれば、「必要な免疫を獲得する経験」ということが言えると思います。
    なぜなら、この世の中で今後も生きてゆくためには、どこかでそれを経験する必要が絶対にあるからです。

    私たちは、多くの病気を経験して、生きるのに必要な免疫を獲得する仕組みになっています。
    ありふれた感染症を経験することは、むしろ必然であり、それは免疫にとっての「成長の一こま」といえるでしょう。

    であるなら、そういう必然の出来事は、むしろ「健康」だから経験できることなのだと考えるべきではないでしょうか。
    それをいちいち健康を損ねたというように見るのであれば、みんな不健康で身体が弱いというようになってしまうでしょう。

    そのように考えてゆくと、健康とはまさに「感」であり、身体をどのような考えをもって見ているかが「鍵」になります。

    戦争中に爆撃があったら、寝たきりの筈だったおばあさんがが走って逃げた逸話があります。
    人は思い込みで不健康に陥っている場合が多く、そのような思い込みが通用しない出来事に遭遇したとたんに、力が発揮できる。

    好き好んで、「病気だ=健康を損ねた」と考える「思考パターン」に執着するメリットなど、どこにもないと思うのです。
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    患者さんとの会話から

    健康とは、いろいろ工夫して、良いと言われる方法をどんどんおこなって、それでやっと実現するというものではありません。

    生命は、良い健康の状態が基本の姿であり、それがニュートラルな状態です。

    では、どうして不健康な状態があるのかといえば、生活のスタイル、通常の心身の使い方に、健康を害するマイナスな使い方があるから....それがもっとも大きい。

    ですから、健康になるためには、健康にとってマイナスにはたらく、生活スタイル、心身の使い方を反省して、これを改めることがもっとも重要です。

    新たな方法論や手法を加えて必死に努力するのではなく、今までのダメと思える部分を引いてゆくのですね。

    そうすれば、本来の当たり前な姿がでてくると思います。


    健康法というものがあるとすればは「引き算」です。

    方法を加えて「足し算」にしてはいけません。


    食養生について様々な方法があます。

    マクロビが良いとか、粗食が良いとか、どれだけ体に良いかが尺度のようですが、私にはあまり関心がありません。体に良いとか悪いとかいう基準で食を考えることに意味を感じないからです。

    依りかからない。偏らない。

    余計な概念から解放されていたほうがより健康だと考えます。

    健康法、養生法、なんでもそうですが、工夫をして「やっと健康です」というならば、工夫をしないと不健康の裏返しです。工夫によってどうにか保つ健康なら、結局のところ不健康だと思っています。

    私は、自分が美味しいと思うものを食べたい。それだけです。それは、必ずしも贅沢や美食を言っているのではありません。野菜でも肉でも魚でも、美味しいと思うものをいただきたい。

    そのために、体が必要とするものを「美味しい」と思える感覚を磨き、自身の感覚を信じる。

    玄米も食べます。ただ、体に良いと思っては食べない。今日は、こういうものが美味しい体の状態なのだと思うことはありますし、美味しく感じないときは食べないようにする。

    無農薬有機栽培だという能書きも、食べて美味しいと思えないなら、私には意味がない。もしも、美味しいと思えば、価格は関係ない。美味しい方が良いではないですか。

    私にとっての食養生とはこのようなものです。

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