患者さんとの会話から
健康とは、いろいろ工夫して、良いと言われる方法をどんどんおこなって、それでやっと実現するというものではありません。
生命は、良い健康の状態が基本の姿であり、それがニュートラルな状態です。
では、どうして不健康な状態があるのかといえば、生活のスタイル、通常の心身の使い方に、健康を害するマイナスな使い方があるから....それがもっとも大きい。
ですから、健康になるためには、健康にとってマイナスにはたらく、生活スタイル、心身の使い方を反省して、これを改めることがもっとも重要です。
新たな方法論や手法を加えて必死に努力するのではなく、今までのダメと思える部分を引いてゆくのですね。
そうすれば、本来の当たり前な姿がでてくると思います。
健康法というものがあるとすればは「引き算」です。
方法を加えて「足し算」にしてはいけません。
食養生について様々な方法があます。
マクロビが良いとか、粗食が良いとか、どれだけ体に良いかが尺度のようですが、私にはあまり関心がありません。体に良いとか悪いとかいう基準で食を考えることに意味を感じないからです。
依りかからない。偏らない。
余計な概念から解放されていたほうがより健康だと考えます。
健康法、養生法、なんでもそうですが、工夫をして「やっと健康です」というならば、工夫をしないと不健康の裏返しです。工夫によってどうにか保つ健康なら、結局のところ不健康だと思っています。
私は、自分が美味しいと思うものを食べたい。それだけです。それは、必ずしも贅沢や美食を言っているのではありません。野菜でも肉でも魚でも、美味しいと思うものをいただきたい。
そのために、体が必要とするものを「美味しい」と思える感覚を磨き、自身の感覚を信じる。
玄米も食べます。ただ、体に良いと思っては食べない。今日は、こういうものが美味しい体の状態なのだと思うことはありますし、美味しく感じないときは食べないようにする。
無農薬有機栽培だという能書きも、食べて美味しいと思えないなら、私には意味がない。もしも、美味しいと思えば、価格は関係ない。美味しい方が良いではないですか。
私にとっての食養生とはこのようなものです。