身体にはそれぞれ癖があり、定規で図形を描いたような体の人はまずいません。
その癖を「歪み」と称して、治すべきテーマと捉えるわけですが、実際にはそれが修正すべきネガティブなものなのか、あるいはその人にとって、必然のある現象なのかを判断するのは難しいことです。
どういうことかといいますと、例えばテニスなどをしていると、ラケットを持つ腕の方が「長く」なったりすることがあるようです。
これは、ある意味「適応」と言える部分もあり、体が歪んだといより、その動作に特化してよりより有利に変化したとみることもできるわけです。
体が自発的おこなう、「身体改造」とでもいえるでしょうか。
この身近な例は「近視」です。
「目」は、本来近くのものを集中して凝視することはとても「苦手」なことだと言われています。
ですが、生活習慣の中で、近くを凝視するという特殊な使い方を繰り返すことで、「目」が近くを見るのに特化して変化してくる。
その結果として遠方に焦点が合いにくい、好ましくない結果もまねくことになるので、この適応は嫌われてしまいますが、しかし「目」にしてみれば、本人が一番おこなっている行為に特化したというわけでしょう。
さて、話は変わりますが、歌を歌う、特に高音域を出す行為は、おもに骨盤を中心に特徴的な変化をみせることがあります。
仙骨部位が後方に変位して、仙骨が凝縮する印象で(大人において仙骨は融合した板状の骨なので、凝縮という表現も変なのですが)骨盤の前面が開く感じでしょうか。
高い音域の声を出すということは、骨盤でもこの辺りの身体を操作して、行っている部分があるのでしょう。
現在、当院には声楽の仕事をしている方がいらしていて、その方の骨盤を治療で操作するのですが、その方の場合には、骨盤の変化が声の変化に直結する感想を述べられます。
この方もケースでは、適応の方向へ状態を強調すると、声が出やすい実感につながるようです。
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