来年2月に、郡山市三穂田公民館で気功講座の講師依頼がありました。同地区の皆さんにお会いできることを楽しみにしています。
さて、私の講座では、太極拳や○○功などの動作を指導することはほとんどありません。
行うことは、気とは何かという概念の説明。そして体験を通して各々の解釈をしていただくこと。それが最重要と考えています。
気とは概念ですから、実態があるかどうかということは不明です。
無理やり、物理的エネルギーだとか波動だとかいう説明では、むしろ非科学的な感じになってしまいます。
現時点では、科学の立場で証明できないものなのです。
ですから、当初は、ひとつの考え方と捉えていただく。そして、たとえるなら音楽などのような、「芸術の力」だと考えていただく。
人が音楽を聞いて、感動したとか、癒されたとか、さまざまな変化をもたらすことができたとしも、それは音そのもの周波数や旋律の、物理的作用ではないでしょう。
その背景にある、いわばアートとしての部分に作用の本質がいる。
楽譜通りに正確に演奏してもだめで、つまりは、歌う人、演奏する人の、アートの部分が重要なのです。
これは、非言語的で、深いコミュニケーションです。
気とは、そういう分野だと思います。
講座の最初は、手に気を集めて、気の実感を体験する技法から入ります。
手に気があつまると手が温かく感じたり、むずむず、びりびりなど、さまざまな感覚が発生します。
そこで、初めての人は、「気とは温かい」と思ってしまうのですが、それは違うのです。
気の作用として温かいという感覚が発生したのであって、それは気の温度ではないし、気そのもの感じではないのです。気は直接感じることは出来ません。
気功の技法によって感覚が発生したり、その他の身体的変化が発生たりを通して、気を間接的に体験するわけです。
気功の技法により、意図的に身体感覚を発生できることは、セルフコントロールの上で、とても意味のあることです。
たとえば症状とは、身体感覚ですが、炎症や病変のように実態にあるものもあれば、たんなる感覚で、錯覚にも似た感覚である場合もあります。「気のせいでしょう」などという言葉は、まさに「実態のない錯覚」という意味でも使われますよね。
体調の感覚は、体に病気があるかないかを代弁してはいません。ただ単純に実感として感じがよいか悪いかの感覚を言っているに過ぎません。
我々の心身はそういう感覚に立脚して生活しているのですね。
ですから身体技法として感覚を操作できることは、心身に大きなインパクトをもたらすことが出来るのです。
気功講座は、そういうところの説明から入ります。