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鍼灸師ハリポのコラムです。開業鍼灸師としての日常や、週1勤務の産婦人科での経験を。
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    性別:
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    鍼灸師
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    ボディーワーク研究
    自己紹介:
    開業鍼灸師として20年。治療の枠をこえ、よりよく生きるために心身のあり方について日々模索中
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    呼吸をするときには、胸郭から腹部にいたるまで、波状的に膨らんだり縮んだりと、呼吸リズムに追随して運動しているが、内的呼吸リズムは、実際の呼吸リズムよりワンテンポ早く刻まれていると思う。

    本日、伏臥位で治療を行っているときに、何気に患者の耳介をみると、呼吸に先んじて、耳介が開いたり閉じたりと運動をしている。呼吸運動よりワンテンポ速い。

    さらに、実際の呼吸を抑制するように(息を詰めさせるように)背部から胸郭を圧してみても、リズムは自立的に一定である。呼吸抑制中も、あたかも呼吸が続いているように、開閉をくりかえしている。

    試しに、このリズムが、オステオパシーでいうところの、仙骨ー頭骸骨リズムかと思い、頭部を絞扼的に圧しても、リズムは変らない。やはり呼吸リズムの部類であろう。

    矯正手技の中には、呼吸を吐ききったときとか、吸いきったときに行うものがあるが、おそらくそのタイミングというのは、実呼吸ではなく、この前駆呼吸リズムの方が指標なのではないだろうか。

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    私は、脈を診るときにベットサイドに立った状態でみます。

    このとき、「立つ」ことは難しいと思います。

    スポーツで言えば、ゴルフにしても、野球のバッターにしても、「スタンス」がありますよね。それによって結果が大きく変わることもある。

    脈を診るときにも、適当な立ち方があると、経験から考えています。

    いい加減な、なにも考えない感じで立つと、集中しにくい。身体のところどころに、余分な緊張があったり、偏りがあったりと、自分の体の不具合が観えてきて、脈を診ると言う行為に感覚が集中できないのです。

    経験から、理想的な立ち方は、体幹はやや前傾で股関節、膝が硬直してないい、やや抜けた感じに立てること。

    そういう状態にハマルと、とても気持ちが良い。その姿勢なら、1時間でも微動だにせず立っていられる感じになる。自身の体の肉感が消えて、自分の身体が微細な粒子、気体感に感じられる。
    日本語の「型にはまる」とは、本来こういうことなのでしょう。

    このカテゴリに関しては、興味のない方にはきっと意味不明。難解です。とばしてください。身体技法に素養のある方は、いちど覗いてみて下さい。

     

    美術館でピカソ展をみていたときのこと。

    その日は朝から頭痛を感じていた。私は、絵をじっくり鑑賞するような趣味はない。スライドショーをみるように、テンポ良く次に移る。

    そうやって、いくつもの作品に前を通り過ぎ、ある作品の前に来たときに、私は自分の変化に気がついた。ある絵を見た瞬間に頭痛が治ったのである。

    とても気に入ったとか、感動したとか、そんな印象はない。しかし、体は何かに反応している。

    こういうことも「裡(なか)が動く」というのではないか。そのときから私の内面では、漠然と考えが展開している。

    鍼灸の治療は、気血を調整するためにおこうわけであるから気功法である。鍼灸師は哲学的「気」の概念と向かい合わなければならない。

    内気を動かすとはどういうことか。気を調整するということはどういうことか。自分なりの探求が続いている。模索のなかでの糸口は、日本の伝統動作、意識世界のあり方からのアプローチである。

    茶道でも、能楽でも、古武道でも、舞踊でも、何でも良いのだが、それらの所作、意識の集中のあり方に、心身の裡なるものを操り、統一するヒントが含まれていると、みたてている。

     

    >>集中の質 意識のチャンネル

    私たちの意識には、いくつものモード チャンネルがあり、それを適時に切り替えて、ある意識世界に入ってゆく。

    同じ自己であっても、ある瞬間は「母」のモードであり、「井戸端会議」モードであり、「妻」であるモードであり、と意識の設定は変容する。意識の変容がなければ、我々は子孫を残す行為すら不快でできないかもしれない。くすぐったかったり、痛かったりする刺激が快感に変わるのは、刺激という外的要素によるものではなく、意識の変容によるものである。

    では、手始めに、治療をする側にとっての意識のあり方とはどのようにあるべきだろうか。
    この場合の意図は、「スタイル」としてのあるべき姿ではなく、内気を動かす前提としてのあり方を考慮している。感受性のチューニングのようなニュアンスに近い。

    現在のところ、自分が至っているあり方とは、安定した主観状態を均一に再現できる素養というところだろうか。例えるなら、弓道において弓を引くときの意識統一に似ているかもしれない。

    これから一つの身体(患者)と向かいあうときに、こちらの意識に均一な再現性がなければ、その度に、相手の身体からうける印象が変ってしまうだろう。

    そして、この意識のあり方こそ、その人なりの「ワールド」だと考ている。この意識のあり方により、私では私のワールドが始まる。

    ちなみに、鍼灸における様々な方法論を追試していると、案外再現性がないと思うことはないだろうか。

    これは、方法論ばかりを重視して、前提となる重要な要素を軽視しているからだと思う。つまり、ある方法を成功させるには、それを考案した人の意識モードを真似る必要性がある。合気道等における技の極意の習得に似ているのかもしれない。表面技術ではなく、意識の捌き方が重要なのである。

    意識のあり方の次に、もう一つ重要なのは、主観性である。医学とは客観性が大切だと言われているが、それは科学としての医学のあり方である。おそらく気の世界の医学は科学ではなく、むしろ「アート」に近い。よって身体IQが重要だと考える。

    身体IQとは、内的身体情報をいかに認識し、操れるかということであり、これは芸術、スポーツの核心能力と言える。これは主観の世界である。

    ピカソの絵と向かい合ったら、頭痛が治った。

    では、いまこの人と向かいあったら、自分にはどんな内的変化が発生するのか。相手は、どんなインパクトをもたらすのか。それを主観で観察すること。観察すべきは、相手(外)ではなく、自身の内動である。

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