昼食に廻り寿司を食べました。廻り寿司といっても、価格勝負ではなく、そこそこの質と値段のお店です。
そこそこの値段だからネタは悪くない。物によっては活〆の物もあります。
だから、味はわるくない。結構美味しいものが多い。
ですが、食べても身体は「冷ややかな反応」なのですね。身体の裡(うち、なか)が動かない。内気が動かない。
お野菜でもお魚でも、食べた瞬間に思わず顔がほころぶようなものがありますよね。自然に「笑顔」がでるような感じとか。内的身体が勝手に反応し、裡に様々な動きが発生する。
美味しいが、内的身体反応をかもしださない。考えてみれば不思議です。
こういうのは、いわば「気」が抜けているというか、食べ物としての「活気」がないのでしょう。
すし屋を自らの責任で構え、ネタを選び、自分で握り、客へだす。そういう職人が握る鮨と、バイヤーが一括仕入れし、分業でネタをさばき、衛生のためにグローブをした手ですしを握るのとでは、何かが違ってくるのでしょう。
考えるに、食は「裡」が動くような物を食べることがきっと大切ですね。それはグルメという意味ではなく、身体がよろこぶものを食べるということです。
有機野菜とかそんな能書きでも、食べてみて身体が冷ややかな反応なら、体に良いかどうかわからない。現実に、「無農薬で作ったお野菜で、美味しいのですよ」などといっていただいたけど、身体が反応しないものも結構あるような気がします。
また、素材のみならず、料理の過程において、作り手の意気込みや想いのようなものまで、おそらく加味される世界なのでしょう。
やはり、鮨は、なるべくやる気のある鮨職人のところで食べようと、あらためて思いました。
これまで数百人の妊婦さんの腰痛パターンをみてきました。
妊娠による腰部の形や負荷の変化による、いわば妊娠性腰痛は、腰部の痛みというより殿部付近の痛みとして感じるようです。パンツのゴムラインより下の痛みです。骨盤帯痛とも言われます。
治療としては、側臥位(横向きに寝ること)になっていただき、殿部、後股関節と太腿などのエリアにマッサージを加えると症状が緩和されます。
さて、スウェーデンのGoteborg大学産婦人科が、ブリティッシュ メディカル ジャーナル電子版に2005年3月に発表したレポートによると、このタイプの痛みには鍼治療が有効だとのことです。
私の場合には、本人の希望、あるいは、医療マッサージで十分な効果が得にくい場合に、鍼の治療を行っています。経過jはおおむね良好です。
妊娠以前に、ヘルニアなどの腰痛を経験した方は、妊娠中の腰痛に敏感な傾向です。妊娠によって再発、または、悪化したと考えるのでしょう。
しかし、そのような方も、ほとんどの場合は病的腰痛ではなく骨盤帯痛であり、過去の腰痛歴は関係ないものがほとんどだと思われます。不安を抱かなくて大丈夫でしょう。
また、妊娠中に骨盤帯に痛みがある人が、とくに難産であるとか、出産の機能に差がある印象もありません。
妊娠初期の脈というのは、風邪の脈にもにていますが、風邪の脈ほど硬く激しい相ではなく、やや早め、均一でコロコロと楽しげな雰囲気の脈です。
あるとき、腰痛の女性が来院しました。
脈を診たときに、どうも妊娠していることも考慮すべきかも知れないという勘がよぎりました。続いて腰部も診ましたが、通常の腰痛にありがちなパターンではなく、いよいよあやしい.......。まあ、あくまでも私の主観であり、「勘」の領域ですが。
「妊娠されている可能性はありませんか?」
「いいえ、まったくありません」
「そうですか。でも私の経験から申し上げれば、この感じは妊娠の初期に近いので、一応それも考慮して治療をさせていただきます」
「いいえ、絶対にありえません。でも治療の内容はお任せします」
数日後、再び来院されて
「妊娠していました。そういえば、生理もきていなかったので、薬局で買ってきたテスターでチェックしたら、陽性。昨日、病院へ行ってきました。驚きました!」
驚いたのはこっちのほうです。だってあれだけ「妊娠はない」と断言していたのですから。
腰痛は、妊娠初期の、生理的感覚だったのでしょう。
宮廷に仕える医女が主人公の韓国ドラマ(チャングム)のおかげで、鍼灸の診察スタイルを理解する人が増えた気がします。
以前は脈をとっていても、「早いですか」と、数を調べていると思っている人ばかりでしたが、最近では、「どこが悪いでしょうか」などと、脈診が鍼灸の治療方針を決める上で重要な役割を担っていると分かる人が多くなりました。
脈を診ることは、難しい技術です。
ですが、少し関心をもって取り組めば、「風邪」をひきかけたときの脈ぐらいは、だれでも分かるようになると思います。
風邪をひきかけた時の脈の感じとは、まず、皮膚に浮いた感じで探しやすいことです。手首で脈を触れただけで、はっきり存在感があります。振幅が大きく、音楽にたとえるなら、ビートの効いたロックのドラムのうようです。
正確には、風邪に限定されず、感染症の初期にみられる脈状です。
脈を調べて、そのような脈であったら、「風邪をひいていませんか?」と質問します。
大抵の場合には、本人にもすこし他の自覚症状があって、「今朝からおかしいと感じていた」などという話になります。
面白いエピソードとしては、「風邪などひいていません。まったく症状を感じない」といって帰宅したらまもなく悪寒がして、次々に風邪の症状がでてきたという人がいまして、この方は「診てもらったときには、本当に風邪などひいていなかった。しかし、家に帰ったら風邪の症状がでてきた。これは先生の所で感染したに違いないと思った」と苦情を言ってきました。
「風邪もふくめ感染症には数日から数週間の潜伏期間がありますから、帰宅直後に発症しても、先刻に感染したのではないでしょう」と説明しましたが、脈で風邪が診断できるなどとそれでも信じていないようででした。
ところで、この「風邪」というのは東洋医学の用語ですね。「フウジャ」といいます。自律神経や免疫の設定が感染症初期設定になった状態のイメージです。
「だるい」だけでも「風邪でしょう」ということになったりしますが、感染症の初期設定というイメージですから、病気を一つに限定しているわけではないのです。
つまり、風邪の脈は、風邪以外の病気の初期にもありえます。風邪は万病の元というのはこのためで、風邪を悪化させると他の病気に発展するというよりも、病気の多くは風邪と区別がつかない症状から始まるというこなのだと思います。
よって、風邪の脈が分かるということは、とても重要なことなのです。
コリが弛めばよいとか、痛みがなくなればよいという感じで満足というのでは勿体無いという話。
治療の過程を利用して、心身の様々な変化を認識する感覚を養う。あなたが治療をそういう機会にできたとしたら、もっと違う体が見えてきます。
首が弛んだら視界が明るい感じになって、集中力が出る感じです。
(ふむ。なかなかの感想です)
肩こりが弛んだら、その肩こりは、実は自分が緊張して力を入れていたことに気付きました。そしてその緊張の原因って「きっとあれだ」と思ったら、自分ではそれはストレスでないと思っていたのですが、体にとってはそうではなかったのかと実感しました。
(ふむ。上級の感想ですね)
頭をおさえられたら、なんだかわけもなく涙がでてきまました。自分では別に悲しいわけでもないし、何故そうなるのかわかりませんが、でも、なんだか心の奥底でわだかまっていたものが軽くなるような気がしました。
(体の緊張が弛むことで、心的にも変化があるのでしょう。いわば心のコリだったのですかね)
不調を単なるアクシデントと思うのではく、必然があってそうなったのかもしれないと仮定してみる。だとしたら、どんな必然があってその不調を経験しているのか、また、回復の経過でどのような変化や気づきに出会えたか。
そういうことを自分の中で内観し、消化してゆくことを加えてみると、それはもう単なるコリほぐしではなく、成長や自己実現の材料とりなりえるのではないでしょうか。