昼食に廻り寿司を食べました。廻り寿司といっても、価格勝負ではなく、そこそこの質と値段のお店です。
そこそこの値段だからネタは悪くない。物によっては活〆の物もあります。
だから、味はわるくない。結構美味しいものが多い。
ですが、食べても身体は「冷ややかな反応」なのですね。身体の裡(うち、なか)が動かない。内気が動かない。
お野菜でもお魚でも、食べた瞬間に思わず顔がほころぶようなものがありますよね。自然に「笑顔」がでるような感じとか。内的身体が勝手に反応し、裡に様々な動きが発生する。
美味しいが、内的身体反応をかもしださない。考えてみれば不思議です。
こういうのは、いわば「気」が抜けているというか、食べ物としての「活気」がないのでしょう。
すし屋を自らの責任で構え、ネタを選び、自分で握り、客へだす。そういう職人が握る鮨と、バイヤーが一括仕入れし、分業でネタをさばき、衛生のためにグローブをした手ですしを握るのとでは、何かが違ってくるのでしょう。
考えるに、食は「裡」が動くような物を食べることがきっと大切ですね。それはグルメという意味ではなく、身体がよろこぶものを食べるということです。
有機野菜とかそんな能書きでも、食べてみて身体が冷ややかな反応なら、体に良いかどうかわからない。現実に、「無農薬で作ったお野菜で、美味しいのですよ」などといっていただいたけど、身体が反応しないものも結構あるような気がします。
また、素材のみならず、料理の過程において、作り手の意気込みや想いのようなものまで、おそらく加味される世界なのでしょう。
やはり、鮨は、なるべくやる気のある鮨職人のところで食べようと、あらためて思いました。