コリが弛めばよいとか、痛みがなくなればよいという感じで満足というのでは勿体無いという話。
治療の過程を利用して、心身の様々な変化を認識する感覚を養う。あなたが治療をそういう機会にできたとしたら、もっと違う体が見えてきます。
首が弛んだら視界が明るい感じになって、集中力が出る感じです。
(ふむ。なかなかの感想です)
肩こりが弛んだら、その肩こりは、実は自分が緊張して力を入れていたことに気付きました。そしてその緊張の原因って「きっとあれだ」と思ったら、自分ではそれはストレスでないと思っていたのですが、体にとってはそうではなかったのかと実感しました。
(ふむ。上級の感想ですね)
頭をおさえられたら、なんだかわけもなく涙がでてきまました。自分では別に悲しいわけでもないし、何故そうなるのかわかりませんが、でも、なんだか心の奥底でわだかまっていたものが軽くなるような気がしました。
(体の緊張が弛むことで、心的にも変化があるのでしょう。いわば心のコリだったのですかね)
不調を単なるアクシデントと思うのではく、必然があってそうなったのかもしれないと仮定してみる。だとしたら、どんな必然があってその不調を経験しているのか、また、回復の経過でどのような変化や気づきに出会えたか。
そういうことを自分の中で内観し、消化してゆくことを加えてみると、それはもう単なるコリほぐしではなく、成長や自己実現の材料とりなりえるのではないでしょうか。