当院に新患でおいでになる方のほとんどは紹介です。
ところで、先日こんなやり取りがありました。
「この前、○○という人が来たでしょう。あれ、私の兄なんです。腰が痛いっていうからここへ行ってみろと紹介したんです」
「ええ、いらっしゃいました。ご紹介いただきましてありがとうございます」
「でね、もうすっかり良くなったといっていました。紹介するときに言っておいたんです。あそこの治療は、あっさりしていて、直後に良くなっていない感じでも、2-3日後にスーッと治る。だから、そういうつもりで受けるようにって。
そしたら、兄もいっていましたよ。確かに終わった直後はそうとも思わなかったが、2日たったらスーッとなおって、お前に言われた通りだったって。」
実は、このような話はよくありまして、当院の患者さんは、自身の体験から、当院の治療結果は直後より2-3日目と実感しているようです。
体というのは、治るのにも経過や順序というのがあると思います。
治療というのは、治るようにお膳立てを調えるようなもので、いままでなんらかの条件が悪くてうまく経過しなかったものが、その悪条件が解消されることで、自然に治ってゆく。つまり治るのを妨げていたものを排除して回復を促すというイメージですね。
ですから、直後はすごく良いが2-3日後にぶり返すというのは、私の考える理想の治療ではありません。
紹介の時に、そのような話を自発的にしていただけるなら、新たに受けていただく方も経過を待つ姿勢を前提に理解できますので、とてもありがたいことです。
2月6日のブログ 踵の痛み続き
所見としては良くなっているが、本人は頑なに良くなったことを認めない。
このままでは、本人が見切りをつけて、他を模索するだろう。
経験上、効果は十分に上がってると確信している。
そこで、心理的駆け引きをすることにした。こういうことも治療の一環である。
「わかりました。私としては効果が上がっているといていますが、あなたがまったく良くなっていないとおっしゃるなら、その言葉を信じるしかありません。なによりあなたのお体なのですから、あなたのおっしゃる方が真実でしょう。今日で、治療を打ち切りましょう。効果が上がっていないなら、このまま継続するのは無駄です。」
「えええ? もう1回受けてみます。それでよくならなかったら止めます。」
「いいえ、効果を感じないなら、見切りも必要です。所見では、今までよりかなり良くなっていると確信します。しかし、このレベルでも症状の改善を感じないというなら、私の目指す方向性が間違っているということです。だとすればこのまま私の方針で続けても、自覚症状は変わらないでしょう。今日で止めましょう。」
「ええ、でももう1回受けてみます。」
「あなたがそうおっしゃるなら、ではもう1回行いましょうか。」
それから3日後。入ってくるなり
「奇跡です。症状がなくなりました。前回の治療のあとから症状がなくなり、装具もつけていません。なんで急によくなったのでしょうか」
「急に良くなったのではなく、それまでの治療で少しづつ改善していたのです。でも、こういう症状は多少ぶり返したり、軽減したりすることがあるので、そのような経過が普通だと思っていたほうが良いでしょう。」
何の変哲もないやり取りの中に、年季による駆け引きがあり、それは治療の方向性を左右する重要な要素なのである。
この患者さんが、「よくなった」とひるがえったその理由がお分かりになるだろうか?
70歳台女性。半年まえから踵が痛む。整形に通院。起床時や、座位から立ち上がった最初に痛む。通常の歩行の時には痛まない。
足裏の腱鞘炎だと言う診断で、痛みを軽減するために装具まで作ったが改善しないので、鍼の治療を受けたいと来院。
足裏や踵には、腫脹や発赤なし。押して痛む場所もない。
そのかわり下肢の数箇所に、押すと耐えられないほどの痛むポイント(トリガーポイント)がある。
おそらく、踵や足裏に原因はなく、下肢にあるトリガーポイントが原因であると思われる。
ところで、今回の話題は、その詳細ではない。
この方は、なぜか改善した事実を認めたがらないタイプなのである。
3回目の治療日
「いかがですか」
「ちっともよくなりません。治るのでしょうか?」
「まだ2回ですからね、結論を出すのは早いと思います」
「鍼だとすぐに結果が出るのかとおもっていました。前回の治療のあとはなんだか症状がなくなって、すっかり治ったかと思いました。装具も2日間しませんでした。でも今日は元に戻った感じです」
「と、いうことは、前回の治療の後は少し良かったのですね?」
「いいえ、治ってません」
「いま、前回の治療の後は、治ったかのように思えたとおっしゃったではないですか?」
「でも、今日は同じだから....先生!、治りますかねぇ 私?」
「前回の後に効果を感じるようであれば見込みがあると思います。」
「でも効かなかったのですよ」
「先ほどの話だと効果があったと思いますが。まずは少しでも改善の兆しを認めて、ああ!1-2割良くなったかなとか、そういうことを積み重ねて治るものではないでしょうか。10あるものがいきなり0にはなりませんよ。」
「だって、ちっとも良くならなかったのですから10は10のままです」
「2日間装具をつけづに過ごせたのは、痛みが緩和されていたからでしょう?」
「ええ、でもちっとも効かなかったのです。」
これ以上のやり取りは不毛だと思い、ここで話題を変えた。
この方には、踵や下肢の問題とは質の違うものがあるのだろう。
よって、このまま踵の症状を対象とした治療を続けた場合には、おそらく治らない。
治らないといって、病院や治療先を次々にかえる「ドクターショッピング」を繰り返す人には、このようなタイプの方が多い。
ある程度高齢の方とお話をしていると、骨粗鬆症のことが話題になります。
この前、整形の診察を受けたら、骨粗鬆症だといわれたと心配しているなどの話です。
多くの人の話を聞いていて気がついたのですが、どうも骨粗鬆症には誤解があるようです。
骨粗鬆症だから、自分は足腰が痛いのだと考えている人が多いのです。
骨粗鬆症は、骨の強度が弱くなり、骨折などのリスクが高まるのは確かですが、日常の痛みとは無関係です。
耐震強度が不足しているマンションが問題になりましたが、それと同じようなことです。
地震がきたら危険だけど、通常時に問題は感じないのですね。
骨粗鬆症は、これといって自覚症状を感じることはないのです。
昼食に廻り寿司を食べました。廻り寿司といっても、価格勝負ではなく、そこそこの質と値段のお店です。
そこそこの値段だからネタは悪くない。物によっては活〆の物もあります。
だから、味はわるくない。結構美味しいものが多い。
ですが、食べても身体は「冷ややかな反応」なのですね。身体の裡(うち、なか)が動かない。内気が動かない。
お野菜でもお魚でも、食べた瞬間に思わず顔がほころぶようなものがありますよね。自然に「笑顔」がでるような感じとか。内的身体が勝手に反応し、裡に様々な動きが発生する。
美味しいが、内的身体反応をかもしださない。考えてみれば不思議です。
こういうのは、いわば「気」が抜けているというか、食べ物としての「活気」がないのでしょう。
すし屋を自らの責任で構え、ネタを選び、自分で握り、客へだす。そういう職人が握る鮨と、バイヤーが一括仕入れし、分業でネタをさばき、衛生のためにグローブをした手ですしを握るのとでは、何かが違ってくるのでしょう。
考えるに、食は「裡」が動くような物を食べることがきっと大切ですね。それはグルメという意味ではなく、身体がよろこぶものを食べるということです。
有機野菜とかそんな能書きでも、食べてみて身体が冷ややかな反応なら、体に良いかどうかわからない。現実に、「無農薬で作ったお野菜で、美味しいのですよ」などといっていただいたけど、身体が反応しないものも結構あるような気がします。
また、素材のみならず、料理の過程において、作り手の意気込みや想いのようなものまで、おそらく加味される世界なのでしょう。
やはり、鮨は、なるべくやる気のある鮨職人のところで食べようと、あらためて思いました。