日本語には、感情などの状態を「虫」という言葉で表現しているものがあります。
虫が好かないとか、腹の虫が治まらないなどです。
ところで、戦国時代 (織田信長などの時代)に書かれた東洋医学の本に、体の中の虫を滑稽に描いた絵(空想図)があります。これが結構面白い。
現物は、九州国立博物館で見ることができようです。
http://www.kyuhaku.jp/collection/collection_info01_02.html
鍼灸は、心身の気のめぐりを調整します。
この「気」という観点から身体を観察すると、時として面白い体験をすることがあります。
先日も治療中にこのような体験がありました。
腰痛や肩こりといったことが理由で来院されたのですが、治療をはじめてまもなく、この方は普通とまったく違うと感じました。
何が違うのか。
気のめぐりが違います。こんな感じの方は初めてです。
品よく静かで、深く腹部にはいる。息も乱れず、腰痛といいながら、動作にまとまりもある。
ただものではありません。
しばらく観察していて、ひらめきました。
「ああ、この方の職業はきっと僧侶なのだ!!」
そうだとすれば、すべて納得がゆきます。
治療後に本人に確認をしましたところ、まさにその通りでしした。
僧侶の方は他にもいらしたことがありますが、この方は別格ですね。身についているものが違う。
それにしてもこのような体験はなんど遭遇しても面白いですね。
外科の手術なら、傷口はより少ないほうが良いし、手術に要する時間もより短いほうが上手といえます。
これは鍼灸も同じことで、鍼の本数はより少ないほうが技術を要しますし、所要時間もより短くて効果があればそのほうがよいでしょう。
私はそういう方向性で技術を洗練してゆく努力をしています。
ところが、普通の方のニーズはすこし違った感覚であることが多いようです。
鍼の本数はより多いほうがより内容が濃いと思われがちです。また時間も長いほうが丁寧だという印象になります。
つまり、治療を量で判断する基準の発想が主流なのですね。
先日も、「なるべくたくさんの鍼を使ってほしい」という希望の患者さんがいらっやいました。
希望ですから、不可能でない部分についてはなるべくその意向にそえるような配慮はいたします。
しかし、私にしてみればそれは「あえて下手な方法でやってください」と聞こえるのです。
当院は所要時間で料金が算定される方式です。
したがって、時間が長い場合には料金も比例して増えます。
それは経営的には歓迎です。しかし治療の内容という面からみれば、簡潔に適当な時間で終えたものが一番良い。
量を求める患者さんには、一応そいう言う話をさせていただいておりますが、それでもほとんどが手数、時間の多い方を選択なさるのが現実です。