体の歪みというのは、車をぶつけて歪んでいるというのとはまったく違います。
車が歪んでいると言う場合には、本来そういう形ではないのに、外力によって変形してしまった状態です。
しかし、体の歪みというのは、簡単に言えば、たまたまそういう体位をとっているだけのことなのです。
形としてはなにも歪んではいません。
曲げることができるところを曲げているだけです。
では、「体の歪みとはなにか」というと、ポイントは身体感覚と実身体の不一致ということなのだと思います。
本人としては、「まっすぐ伸ばしている」と感じているのに、実際は体を曲げているという不一致です。
つまり、歪みとは「身体感覚の歪み」と言えるわけです。
そのように考えると、矯正とは形を修正することでないと言えます。
身体感覚を、いかに実態に近づけるかがテーマです。
曲がっているところを曲がっていると正しく認識できるように、感覚を補正することです。
ありがちな、曲がってところを反対に捻るような、「板金的行為」は、本当の矯正ではないと考えています。
整体と聞くと、多くの人は体の歪みを正しい状態に戻す行為だと考えているようです。
また、そのような単純な着眼で整体を行うところが多いものです。
しかし、高度な整体は、曲がっているものを、ただ直すような単純な板金術ではありません。
整体の目的は、全力を出し切ることができる心身の状態にすることです。
歪みを正したり、病気を治したり、痛みをとることがテーマではありません。
全力を出し切るというのは、実は難しいものです。
とくに、自分自身を、病気だとか、体が弱いとか、そのような状態と思い込んでいる人に、全力を発揮させることは難しいでしょう。
ところで、たとえそのような人でも、自分の家が火事になったら、無我夢中ですごいことができるかも知れません。
火事場の馬鹿力といいますが、そのときの状態がいわば「整体」です。
病気の人でも、体の痛い人でも、そのときはすごい力を発揮する。
無我夢中だからすごいことができるのではなく、
むしろ、その人の常の意識状態が、体を使い切らない方向へ固着しているのではないでしょうか。
つまり、整体とは究極的には無意識の意識改革を伴うものです。
そのきっかけとしては、手技ばかりでなく、火事のような状況刺激でもよい。
そして、全力を発揮できなくなっている「思い込みのようなもの」をどう処理するかがもっとも重要です。
矯正は、いわば心に対して行うもので、身体の歪みなど本当はあまり重要ではないのです。